この物語はアウトリガーカヌーカヌー世界大会molokai hoe 出場まで

5年の歳月を費やした男達の愛と友情の参戦記である。

 

俺は今JO74便でホノルルに向かっている、そうであるあのMOLOKAI HOEに出場するために、あの海峡を渡るためにだ。成田を飛び立ち2時間あまりが経ったであろうか食事もすみ気づくと機内は淡い夜間照明へと変わっていた。二階席ということもあり静でやや広い空間がここまでの道のりをゆっくりと振り替えさせてくれたようだ、数日後に迫ったその日のために費やした5年道のりを・・・・

2008年にこのチャレンジをするために2005年茅ヶ崎にクラブを立ち上げた、もちろんそれだけが目的ではないがクラブ設立にあたりマニフェストのような物であった。
そのクラブ員募集ポスターを見て最初に来てくれたのがマッチャン、やがて強靭なストローカーとして活躍することになるのだがその時は持病のヘルニアが心配で入会申込書より診断書が必要であった。次に来たのが近所に引っ越してきたフッジー彼はマニアックスノーボーダーで見た感じ海とは程遠いふうぼうであった。そしてその次がメールでお問い合わせのオダジ、彼は大手電話会社に勤めるエリートヨットマンらしいが俺には酔ったマンにしか見えなかった。
柄にもなくこんなこともしたMIXIでメンバーを集ったのだ、そこでマイミクになったのが一也だ。早速数回メールを交わすと水泳部時代の後輩とわかり即勧誘、若く、さわやかで誠実そうでありながら間違いなく怪しい所が俺の若い頃に似ていないことも無いので良しとした。
今思えば当時頼りになるのは親友のダイたった一人であった!

その後クラブは順調に成長してゆきメンバーは100名を超え気がつくと2007年、翌年が約束の年となる。しかし出場の手ごたえはなかなかつかめる物ではなかった。レースに出場するには最低クルー9名スタッフ2名、合計11名は必要である、それぞれが仕事、家庭はもちろんのこと経済的面も含めその日のために全てを調整し費やさなければならない、そこまでのモチベーションのある人間を11名集めることは想像以上に難しいものであった。
むしろパドルスキルよりそちらの方をクリアーできる人間がなかなか居ないのが現状であり、強いやつと言うよりかは行けるやつという方向性も考えなければならなかった。
2008年もその課題はクリアーできずあっさり幕を閉じてしまった現代の政界を象徴するがごとく公約を果たすことはできなかった。
しかし翌2009年凄いことが起こる、なんと女子チームがそのMOLOKAIHOEにチャレンジすることとなったのだ!!俺らの姿を見るに見かねたのか実現となれば日本初いやアジア初の快挙である、まさに歴史的な出来事となるのだ。俺たちの複雑な気持ちを知ってか知らぬか目標に向かい消して揺るぐことのないその決意はやがてクラブ員全員の気持ちを載せて走り始めた、(そこに俺たちの気持ちもちゃっかり乗っているのはどうかと思うが)しかもひかえなし9人だけで。そして彼女たちは見事あの海況を渡りきりアジア初のHOLOKAI HOEフィニッシャーとなったのである、そう全てを乗り越えて!
なんと劇的な2009年であったであろうかモエそしてクルー達よ感動を有難うと心から言いたい。(俺たちも行った気になっているところが本当にバカだが・・)
今思えばあの2009年がなければ今俺達はここに居ないような気がしてる、心に思うことは簡単である重要なことは行動に移すこと、女子チームがそれを教えてくれたのだった。

そんな俺達だが翌年1月の寒い夜2010MOLOKAIHOE出場を再び心に誓いメンバーを集った。俺の当初のイメージとしては世界大会なので誰もが目指しその中で選びぬかれた者のみぞ行ける聖地であり憧れのパドラーという感じであったがここ数年の活動で「行けるひとぉ~あつまってぇ~」みたいな感じになってしまった。
ちょっとかっこ悪いようだがこういうことだ、消してそれは妥協ではなく活動を通じて俺は変わっていったのだ。
そこにいける者こそが、そしてそこに居る者こそが出場の資格を与えられる者であり、だからこそその場その瞬間に感謝をし祈りをささげるのだ、それが海なんだと。
強い者が行くのではなくそこに居る者こそが強者であるのだと。
その強者の条件とは、それにどれだけ臨めるかだ!半端でなければそれでいいと俺は思う速い遅いでは無い、そこに向かってそこに立つのに相応しいパドラーへ成長すれば良いのだと思ったからである。
そんな中集まったのがマッチャン、フッジー、大、一也、オダジ含めた合計16だった。
クルーは9名なので控えが7名ということになる、クルーはレース前日発表という条件の元それまでは一人の脱落者も出さず何事も乗り越え2008年に誓った夢を2010年に実現させることが目的である!!
マッチャン(出版社勤務)フッジー(精密機械製造会社経営)、大(外資系銀行マン)、一也(大手電気機器メーカ勤務)、ミネミネ(世の中のためになる会社勤務)、玉(NTT)、オダジ(NTT)、啓介(はやりのベンチャー企業)、マコツ(駐車場関係の忙しい仕事)、先輩(一流ホテルのジャーマネ)、鶴さん(アパレル業界)、ヤク(金星人)三田さん(火星人と言いたいところだけど自動車メーカー勤務)、ヤス(証券マン)、爺(高井戸居酒屋経営)俺(クラブ代表)の16名だ。
にわかに怪しいので出場への思いをビデオに残したものの16人の決意は固く夢の実現へ向け確かな手ごたえを感じた。

それから今日まで毎週のように皆でやってきた練習が思い出される、中でも印象的だった出来事がいくつかある。
いくら成長すれば良いとは言え三田さんは何時もビッコである、スポーツ経験の無い三田さんにはハードな内容だったのかもしれない。声を掛けるとまだ行けるって言うのがやけに可愛く時にはそれがむかつくこともあった。
そしてこんなこともあった、あれほど誓い合ったにもかかわらず一番熱い思いを語っていたオダジと先輩が行けないと言い出したのだ、こんな時のためにあのビデオと思ったがやはり海外のレースに出るということは用意ではないということを改めて思ったりした。マコツ・啓介も仕事の調整つかず断念これは先輩、オダジより残念な出来事だった。
そして一番辛かったのが出発前のクルー選考だ、結果12名となったので3人が控えとなりカヌーには乗ることが出来ない。一人目は万寿一致で三田さんに決定した、まだいけると言うと思うがここは鉄板問題なし。しかしこれも満場一致で言えるとだが、このチャレンジで一番ガッツがあったのが三田さんであることを付け加えておこう。
そしてもう一人が鶴さんだ大好きなラーメンを絶ちメチャ頑張ったがブランクが長かったか、しかし常に笑顔を絶やさず直向な姿勢でチームを盛り上げてくれた。
そして最後の一人は決めきれずレースで決めることとなったそれが爺と玉だ。
フェアーでは有るが辛い決断である、勝った方が一人はクルーとなり負けた一人は控えとなる。
クルー9名の大きな差は無くむしろパドル力的にはこの2人の方が上を行っている、しかし今回重視したのはコンビネーション狙いはトップスピードより平均速度の底上げだった。
力より9人がいかにシンクロするかと言う事が重要だ、となると力はあるが個性的なパドルスタイルの2人には若干の不安が残ってしまうのだ。結果玉が選ばれることとなった、両者のガッツは何者にも劣ること無く後継者達に語り継がれることになるはずだ。
何事もそうだが過ぎてしまうとあっという間のことだがこうして改めて思い起こすとレースへの思いはより強い物になるものだ。
そろそろ客室乗務員のねーちゃんをからかって寝る事にしよう。

DAY1 10/6

ホノルルに到着した、それぞれイミグレを済ませゲート外で先に現地入りしているヤクと合流の予定。当然ゲートを間違えるやつも居るしヤクもきていないこれは全て想定内で良い感じだ。
計算外だったのはいきなりユニホーム姿で登場のヤク、やつの中ではもうモロカイが始まっているのであろう。
初日の予定はこのレース5度の優勝を誇るジムを尋ね色々とアドバイスを受けること、次に買出し、そしてエスコートボート確認、最後にホテルチェックインだった。
空港を出るや否やホテルにチェックインできるとのことが判明し迷わずホテルに向かった。ココはゴール付近のヤクこだわりの場所でレース中のホテルとしては十分すぎるほど豪華であった。がっ!部屋に入るとダブルベットなんだひョ~ン
俺「ヤク、お前部屋間違えてるだろ」ヤク普通に「エッ!駄目っすか?」第一回切れモードに入りそうになったが全てを受け入れるつもりでここに来ている、そしてこのチャレンジにおいてヤクのいう事には従うことが約束であったのでグットこらえハワイでオヤジ2人ダブルベットを受け入れることにした。
結局マネージャーで来てくれているフサコがベット、俺は床、大ソファーで落ち着いた。他の部屋を除いて見るとダブルベットで寝るようだ、こいつらやばいかも・・・・

早速ファーストミッション、ジムと会うためにオフィスに向かった。彼と会のは2年ぶりだ。
ハイ!ジム!!相変らず小さいんだけど腕だけは凄いな~変わってないな~
ジム快くオフィスに案内してくれた先ずは初めての場所、初めてのレースしかもそれがMOLOKAIという事で一番気にな海況とコースに付いて質問してみた。
海峡(Kaiwi Channel)は海流と風が強く予想しにくくなんともいえないが ココヘッドを目指すルートがベターであるとのことだった、ジムにとっても予測は難しいと言う事であろう。これは北にやや膨らむルートとなるが強風により大きくオアフを外れないためと安全に航海するために先駆者から受け継いできたトラディショナルなルートであると彼の話から感じとれた。
レースは幾つかのグループに分かれるのでその集団のルートを参考にチャンスを見て焦らず一艇ずつパスして行けとのアドバイスだ、ジムもこうしてこのレースを5度制しているのであろう、なんともワクワクしてきた。
そこで今一怪訝そうながヤク、実は数年前からタヒチチームが真っ直ぐもしくは南寄りからワイキキを目指すルートでコースレコードを連発しているという情報が気になってしょうがないのだ北ルートはどうしても納得いかない模様だった。
それも解るヤクは金星人でありながらラフティング世界大会2位まで上り詰めた男だけにその情報は無視できないということなのだろう、まー金星一頑固な男でもあるのでここはヤクの意見も聞いておこう。ジムサンクス!!

次はレース中の飲料水などの買出しのためコスコに向かった、さすがにでかいな~
先ず皆が足を止めたのはボード売り場、おっ!SUPも売ってるよ!!おいおいご想像通りののりで買い物終了。
そして本日最後のミッションとなるエスコートボーの確認と荷物積み込に向かった、キャプテンとのルートの打ち合わせも忘れてはならない。
ヤクが苦労をして見つけてくれた地元の漁師さんだけあってなんとも心強い、奥さんは中国人かアジア系の人でとても親切で親しみやすい方々だった。
早速海図を広げルート談義となったがキャプテンもレースエスコートは初めてという事でその話し合いは2時間にも渡った。
俺もここで距離感とコースをかなりイメージすることが出来大分安心することができたがヤク先生はどうしてもタヒチアンルート捨てきれないようだ(笑)しかしどおやら近年に無く今年のレースは荒れるとの予報。結局北ルートで議決、ヤク先生は軽く大に怒られて会議は終了した。

DAY2 10/7

快晴!皆でゴール地点の確認も含め数キロ軽くランで汗を流すことにした朝日の差し込むアラモアナパークで空漕ぎはちょっと恥ずかしかったがなんとも気持ちが良く爽快な気分で1日は始まった。今日は仕事で出発が遅れた一也・鶴さん・三田さんが合流だ、これで役者は全員ハワイに終結したことになる、イコールなにが起こるかわからないということだ。

ホテルに戻り皆で後発組を迎えに行くと思っていたが朝食も足らずにヤクが慌てて空港へと出て行ってしまった。まー面倒なことはヤク任せておけばということで特に皆反応無し、ホテルでしばしのんびりタイムとなった。
今日は女子レースではかなり不評であったココへット登山&ルート確認の日、俺は内心楽しみで仕方が無かった。モロカイ島まで一望できるということはそこは絶景でもあると言えるからだ。
気が付くと2時間あまりが経過していた例よってヤク先生の帰りが遅いので昨日買った携帯で電話しようとしたら何処にも見当たらず皆大慌て、ヤク先生が二台とももって出てしまっていたのだ、流石ですヤク先生!!
ようやく全員合流、つい先日まで一緒にいた面子だが改めてハワイで合うとやけに感動、三田さんのビッコも回復傾向でみんな上げ上げで支度を始めた!
即着替えココヘッドへ出発(ヤッホー!!)その前に携帯持ったか?!大「大丈夫もう携帯は俺が持つ」俺「大OK!もう一台はヤクお前もて」、シーバーテストするぞ、玉「ハイ!」俺「もう一台は?」玉「ホテルです」俺「頼むから俺を怒らせないでくれ玉」
ワイキキを抜けダイヤモンドヘッドを迂回しハワイカイを眺めながら30分ほど走ったであろうかココヘッドのふもとのモールに到着、このとき既に観光ムード炸裂であった。昨日買い忘れたものや後発隊の買出しのためによったはずのモールであったが行き成りショッピングモード三田氏集合時間になっても一向に現れず、徐々に主役がヤク先生→三田氏へと変わり始めた。
ようやくココヘッドに到着するそれぞれ準備し登頂ルートへと入ったがこれは国民性かもしくはこれが常識なのが?!道が山頂まで一直線に伸びている!うむ?
俺の中では左右に蛇行しながら緩やかな傾斜を保つものが登山ルートの常識なんだが・・・

早速登山開始、ふと見ると三田氏が杖を突いてビッコを引きながらしかもかなりのオーバーアクションで歩いているではないか!!
その杖どおしたの?日本から持ってきました、この時点で完全に主役は三田氏へ!

1時間ほど登ったであろうかようやく頂上が見えてきた、既に最高の眺めだがまだココからはハワイカイ側しか見えない、ダイヤモンドヘッドやワイキキの町も望むことができた。ようやく山頂に到着するとモロカイまではっきりと望めるではないか、なるほどコースもよく解る!!これは来て正解だな昨日のイメージが俺の中でより確かな物となって頭に刻まれた、バッチリだ後は漕ぐだけだ!!

 そして下り終わるとそれは一気にやってきた。両足の震えが止まらないのだ生まれたての子鹿のようになってしまった、ヤバイやりすぎた 女子チームには不評であったことわれたからだ。
一行はホテルに戻りメインバックからレース用品を取り出し空港へと向かった、いよいよこれからモロカイ入りとなるのだ。そういよいよなのだ!
そんな俺たちを後押しするがごとく今回待望のトラブルがやっと発生、待ってました!!爺さんがメインバックにパスポーを入れたままでドメに到着、国内線とはいえ外国人はパスポートが必要とのことでそれが無いとモロカイ行きの飛行機に乗れませ~んというのだ。時間はあと1時間程度、渋滞の中H1をワイキキまで戻りなおかつレンタカーを反してドメに戻るのは到底不可能と見た、早速ビデオで実況開始!
待つこと30分レンタカー会社のバスが次から次へと来るがその中に爺さんの姿は確認できない。
そろそろ時間も限界、玉を残し皆チェックインカウンターへと移動した。そして又1台レンタカーバスが送迎に着たが爺さん居らず、やった乗り遅れだ!
出発15分前、このバスからでてこなかったら行こうということでワクワクドキドキドアの開くのを待った。すると片手を挙げヒーロー張りで爺さん登場、いや~
盛り上がった!!俺としては乗り遅れてエスコートボートでモロカイまで来てくれたほうがもっと盛り上がったのにな!!
小さな国内線で30分、モロカイ島に到着した、何も無いところだった話には聞いていたけど本当に何も無かった、でもそれはやけに絵になる島だ。
日も暮れ始め辺りの空気はひんやりとして来た、一日の疲れを癒してくれるその静かな時間は何処の国も変わらないようだ俺は赤く色付いた空港で一人そんな時間を味わっていた。
暫くすると今回俺たちに家を貸してくれるクレアと子供達が迎えに来てくれた、彼女はメローでとても優しくこんな俺たちにとても親切に接してくれた最高に良い人達だった。
そして彼女は元ウィンドサーフィンの世界チャンピオンとしてこの海に挑み続けていたアスリートであるところが解った、サラコナーばりでメチャいけていた。
俺は彼女に聞くまで知らなかったんだがついさっきまで住んでた自分の家を貸してくれるということだ、俺はてっきりゲストハウスでも有るかと思っていたがそうじゃないらしい。そしてその間彼女は子供をつれてビーチでキャップルするとのことだ、これもまた驚きだった。

とても良い家でレース前に過ごすには良い環境だ、それにメンバー13人が一つ屋根の下とは学生に戻った気分でなにやらニコニコしてしまった。広さは十分では有るがホテルではないのでさすがにベッド13個はありそうも無い。そこで寝場所は年功序列で決めてゆくことなった。最初はマッチャン、玄関脇のスタンドのある可愛い部屋を選択、窓脇のソファーが心地よさそうである。
次の大は3人部屋のセミダブルのベットをチョイス、そして三田さんの番ここはクルーのために俺はソファーでと言うところであるが一番良い一人部屋のダブルベットを迷わず選択、さすが主役は違います!
日もどっぷりと暮れ辺りは間真っ暗さすがに腹ペコである、ウェルカムパーティーと証して飯を食うと町へ繰り出したのだった。町といっても300メートルほどの一本道に数件の店があるだけだがなんともそれが良い感じだ、その中でちょっと皆の興味をそそったレストランに入ってみた。食べ物は凄く美味しくてクレアたちも合流、店員も凄く親切でここでも大いに盛り上がった、というより異常に盛り上がった。
なぜなら店員さんとお客さんは全員ホモさんだったからである!!
いや~今日も最高だったね星が綺麗だな玉、おやすみ。

DAY3 10/8

6:00起床、意外と真っ暗まだった、星がキラキラそしてちょこっと寒いが見る見るうちに夜は明けてゆく今日も天気が良さそうだ。早速ヤク先生は自慢の空漕ぎ棒を持ち出し皆を誘導、ビーチへ移動してストレッチ&空漕が今朝のメニューとのことだ。しばらく歩くがビーチらしきものが見えてこない、するといきなりヤク先生ホテルの中をずうずうしく通過して行ったその奥がビーチらしい。こんな時間にこんなところ入って良いのか!?
どうやらココがそうらしいがどう見てもホテルのゲストハウスの前だった綺麗な芝生の庭が広がりその先は海が見えるがそのシチュエーションに全員棒立ち。
ここにはビーチが無いことが判明、いそいそと家に戻り砂利の駐車場で空漕ぎとなった。ヤク先生素敵!
町で朝食をとりながら今日のスケジュール確認となった。
このあとエントリー確認と情報収集をかね大会へ本部へ移動、そこでオフィシャルグッツなどの販売もしているそうだ。そしてレース会場でカヌーのセットアップとパドリングというスケジュールだ。今日も多くのトラブルを期待しよう!
ピックアップの荷台に乗り町を抜け最初の目的地に向かう、途中OC6を積んだトラックとすれ違う(一同うおぉ~)
島全体はオアフのグリーンな町並みとは違い赤い感じだ、空気は乾燥していてトラックが巻き上げる砂埃で全てが朱色に見えてしまう、それもまたモロカイという事だ。
おしゃれなコーヒーショップに到着した、ここが大会本部のようだ。居るは居るは大男達が!コナのときもそうであったがやっぱり俺たちは小さい。その中でも一際でかい男がサイさん、今回俺たちにカヌーを貸してくれるニーホープOCCのリーダーで年齢不詳、体重110㎏、身長190cm、胸囲130cm、腕は俺の脚といったところであろうか。こんなでかい人カヌーに乗れるの?って感じであるがファンキーな乗りで色々とテイクケアしてくれた2009の女子もお世話になった経緯もある。

午後から彼らもレース会場に移動をしてリグ等の準備をするということなので再度レース会場で待ち合わせという事で俺たちは一足お先に車を走らせた。荒野?
草原?砂漠?ではない独特な風景のなか思いのほか長い時間車を走らせた、するとその向こうに海が見えてきた。
海の向い左折すると赤い道が続いていた、荷台でハワイアン気分を満喫していた俺たちは鼻のなかまで真っ赤に染まることとなる、これもモロカイか!到着するとマッチャンはデニスロッドマンみたいで結構カッコよくなっていた。

大会会場に到着し辺りを見渡すと早々に準備終わらせたチームも有れカヌーを組み立てているチームもありさまざまなようだウッドの渋いカヌーも結構ある。
ほとんどがブラットリーだ、ライトニングってやつが今一番いけてるOC6ってことなのか会場で一際目立っていた。
しばしカヌー見物を楽しんだがそろそろ自分達の借りるカヌーも気になるところだ、どれであろう?
するとサイやってきて俺たちのカヌーのところへ案内してくれた。
かなり昔のブラットリーだ、1965のこのレースで優勝したカヌーだと説明を受ける。ってことは俺と同じ年?!ワインじゃないんだから大丈夫かよと思ってしまったが大切なカヌーを貸してくれるだけでもありがたいことなのだ感謝せねば。
手際よくリグを済ませスプラッシュカバーの取り付けに入る、どの作業もこの海峡を渡るためには重要だがもっとも気を遣うのがこのカバーのセッティングだ、これが無ければものの5分で沈没させられる海だからである。

カヌーに合わせて赤いキャンバスを用意してくれたまでは良いのだが何度やっても長さが合わない、短いのだ。千切れそうになるまで引っ張ったが短い物は短い結局何処を空けるかということに課題はシフトし六番の後ろテール部分を空けノーズからあわせてセットアップする事に決まった。2時間は掛かったであろうかようやく今回俺たちを乗せて滑るカヌーが完成した、ケツの隙間が気になるが。

早速乗艇、最高だ!青い海と赤い大地に程よい風とウネリ。
この島こそがカヌーの聖地であることを教えてくれているようだ。
今日は順番に12人全員でパドルすることにした。後半にウォーターチェンジ練習もしてみた、皆ローテーションを確認しながら結構い感じでやっているいい仕上がりのようだ。そして三田氏の番がやってきた、そう又やってしまったのだあれを!
ここモロカイでもパドルを持ったままダイブ、ネクストクルーはパドル無し状態!
さすがにここでは茅ヶ崎のように怒鳴るわけにも行かず、かといってシカトするわけにもいかず一也がだまって三田氏を引き上げたいた。
まーちょっと恥ずかしかったけど水は綺麗だし温かいし茅ヶ崎に居るときほどは頭にこなかった。
カヌーにはかなり不安が残ったがここまできたらやるしかない細かなことは忘れることにしよう。

今晩は爺さんが飯を作ってくれるということなので皆大喜びだ!大と3人で買出しに出かけた。メニューはポキ、タコマリネ、サラダ、ステーキ、そしてヌードル。13人前ともなるとそれぞれどれぐらいの量が必要か全く見当が付かないがさすが爺さん、その辺はやつらの食欲も計算にいれ迷うことなく食材を籠へと入れてゆく物の10分で買い物終了、プロだね!!
早速皆で調理開始、ポキが出来た時点で我慢の限界が来てしまった俺はこのレースのために半年ビールを絶っていたがレース直前にそれをつまみに飲んでしまった。
ちなみに皆で食ったこの晩飯は歴史に残るほど美味かったことを付け加えておこう。最高だった、最高以上の言葉が浮かばない。

気が付くとずいぶん良い時間だ、今日も星が綺麗だな~玉お休み

DAY4 10/9

6:00起床快晴、ヤク先生どおやら今朝はビーチの場所を調べてきたらしいく昨日とは反対の方向へ歩き始めた、もちろん空漕ぎ棒を持って。歩くこと5分公園の先にビーチがあるではないか!しかもこんな近くに。
朝日を浴びながらストレッチ&空漕ぎを済ませ俺は車で皆はランで部屋までもだった皆島のリズムに溶け込みリラックスしたとても良い1日の始まりとなった。
今日の予定はカヌーの最終チェックとレースの準備、後はとにかく体を休めることが重要だ。
先ずはカヌーチェックのため会場に向かうが荷台に乗るやつは誰も居なかった。
到着するとなんとスプラッシュガードが新しいものに交換されているではないか!!
ヤバイ感動だ!!でもさすがにあれじゃーやばかったのであろう、俺は行くしかないと腹をくくっていたが彼らがこれを変えてくれるということはやっぱりそれだけヤバイ海峡なのであろう、そうにちがいない。じゃなかったらやつらのことだから変えてくれたりしないでしょ(笑)
早速乗艇し最後の感触を確認した合った三田氏抜きで。
足が滑るのでサーフワックスを塗りベイルを2個マジックテープでカヌーの内側に固定したリグも問題なし若干スプラッシュガードは怪しいが昨日に比べれば上出来、後は漕ぐだけだ。
気が付くと今日もずいぶん陰の長い時間になっている、嵐の前の静けさとはこのことであろうが全ての準備が終わり辺りは静な空気に包まれていた。明日は25メートル以上の強風という事だがいったいこの海がどの様に豹変するのか期待と不安が俺の中で交差する。
緊張気味な俺とは対照的にカヌー達はじっとその出番を待っているようだ、どのカヌーも自信に満ち溢れ勇敢な戦士ように見えた。
そしてそのとき俺にはカヌーの息ずかいがはっきりと聞こえてきたのだ初めての経験だった、呼気の長い息ずかいだった。
俺は一人カヌーに戻っり話しかけたお前は何回この海況を渡ったんだ、俺は初めてだよ、いよいよ明日だな頼むぞ俺たちをオアフまで導いてくれと。

宿に戻り最後のミーティング、ローテーション確認、コース確認、など全ての準備を済ませたのであった。玉あしただな、お休み!

DAY5 10/10

3:00起床、目が覚めると大は既に何時ものストレッチを始めていた。
皆多くを語ることなくそれぞれの時間を作っているようだ。
俺はおにぎりを作り、朝食にヨーグルトをいっぱい食いウンコを済ませ全て予定通りであった。3:30借りていた部屋を皆で大掃除、借りたものはそのときより綺麗にして返すのが俺の流儀なのでそこはみんなに従ってもらった。4:00出発クレアと子供たちも一緒だ、その頭には日の丸の鉢巻が巻かれていた。

5:00会場到着辺りはまだ真っ暗だが暗闇の中から選手達の殺気だけが伝わってくる、昨日とは別の場所に来てしまったようだ又ウンコがしたくなってくる緊張している証拠だ無理もないが落ち着かなければ。
俺たちは場所を移し何時ものストレッチ&空漕ぎで体を起す、その間にフサコ・爺さん・三田氏・つるさんでクルーの飲料水などレースに必要なものとそうでないものを分けボートへの積み込み作業をしてくれている。今回エスコートボートは2艇用意した一艇はクルーが乗るものもう一艇は荷物運搬と撮影艇だ後で聞いた話だがボートを接岸できず積み込み荷はかなり苦労したらしい。
有難う鶴さん、爺さん、三田氏、フサコ!

いよいよスタート1時間前となるがここでクルー以外の役割を説明しておこう、なぜならばこの海峡をいかに安全にそしていかに速く渡りきるかは彼らにゆだねられているからなのだ。
今回クルー艇に乗りローテーション管理とコース確認を鶴さんと爺さんが担当することになった。ローテーションは練習の中で試されきたいくつもパターンの中から最終的に昨晩決められた物だ。経験者でない方のために簡単に説明するとカヌーは6人乗り、クルーは9名いうルールの下でレースは行われる、よって3人は常に控えとしてボートに乗っていることになる。
その3人が誰と交代して何回漕いでも何分漕いでもはたまた最後まで控えでいてもそれに付いての定めはない。となると当然いかに効率よく9名で漕ぐローテションを組めるかが勝敗を大きく分けることとなるのだ。
俺たちのローテションはこうだ、ファーストクルー、セカンドクルクーは予め決めてある。スタートして30分あまり選手交代が許されていないためと規則的なローテーションに入るための調整もかねているからだ。
その後1番シートは30分漕いで30分レスト、2・4番シートと3・5番シートは2組に別れ30分漕いで15分レストというサイクルで1組ずつ2名が交代してゆく、30分に一回の一番シート交代のときは一度に3人が交代することとなるのだ(お解かりかな?)。
ゴールまで約30シフトをコントロールすることになるのだ。
それだけではない、交代5分前にはクルーに知らせ、キャプテンと連絡を密に取りながら現在位置、順位、この先の海峡、トップとの差、コース取りまでを休むことなく選手に指示出来なければ勤まらないのだ。
そして撮影艇にはフサコと三田氏が乗艇、フサコは撮影のためスタート後も島に残りカメラを回してくれた。
スタートは7:00ヘリコプターが飛び回り辺りは物々しくなってきた、スタートクルーは1ミネ2ヤス3ヤク4マサ5一也6大と決まった、スタート後約30分はチェンジが出来ないのでこのクルーで漕ぎまくることになる、その後セカンドクルーを経てローテーションに入ってゆく。
自分に言い聞かせる様にクルー達と最終確認を済ませた。スタート45分前皆それぞれの持ち場につき俺たち6人もスタートエリアへと向かった次に皆と会うときはチャンネルのど真ん中だ。
さすがに昨日までのメローな雰囲気は一転していた、やはり今回はかなり荒れるらしい中止ギリギリのコンディションとのことだ。ニューホープOCCのブレッシングが始まると自然と大きな輪が出来た、同時に朝日が島を照らし始める。
それまで陰になっていたカヌーに手前から順に朝日が当り始める、いよいよショーの始まりだ大きな幕が全て開いたようだった。そして最後にカヌーを囲み皆無事を祈り称えあった。

文さんの友達のジョージが声を掛けてくれたそして本当に今回お世話になったクレアと子供と最後の別れをおしんだ、クレアの目にそしてクルーの目に涙がにじんだ。
さーいよいよだ次々とカヌーを担ぎ海に出てゆく俺たちも行くぞ!!
湾を出ると10メートル以上は吹いていたやはり荒れるのか、うねりは既に4f位はある。スタートまで15分、最前線の混戦で横波をくらいフリ(転倒)を避けるためやや下がってラインをとる。
フラッグがイエローからグリーンに変わったらスタートだ!更に風は強くなってきた。
この状況だと7:00時を待たずにスタートになるはずだ、ジリジリと前に出ようとしたそのときフラッグはグリーンへと変わったスタートだ!始まったのだ。
6:53一斉にスタートした、早速前線ではフリしているカヌーが目に入る、かなり出遅れたが作戦通り落ち着いて一艇ずつパスして行こう!
前のグループが立てた波と島にぶつかってできるバックウォッシュが重なり合いコースはグッチャグチャだ、それもそうであろう今大会は各国から136チームがエントりーしそれが一斉にスタートするのだから。
皆良い滑り出しだった混戦を抜け出しペースをつかめてきたスタートしてから30分ぐらい経ったところだ、まだモロカイが右手に見えている。徐々に波のサイクルにも合ってきたようだ滑れる波が増えてきた13km/hは出ているであろう予定より少し速いペースでいけてる感触だ、皆声もできた。
大ナイスステアー!ミネ良いピッチだよ!

そして最初のターゲットが見えてきた、よし皆アレを抜くぞと声を掛けると皆のピッチは上がって行く、よし抜いた!これを気に皆レースを実感したようだ。
俺自身もかなり盛り上がってきた、気が付くとモロカイを抜けチャンネルに差し掛かっていた更にペースは上がりこれからだというところでチェンジが解禁となる。各チームのエスコートボーとが一斉に動き出した後続のチームのことなどお構えなしだ、コースは一瞬にしてボートのウェイクでめちゃくちゃになる。
想定内だがもう少し気を遣ってもらいたいものだ、あちらこちらでカヌーがフリし始めた、皆落ち着け!マサ!アマ気をつけて大が叫ぶ!
俺たちもファーストチェンジを済ませたいところだがなかなかボートを見つける事が出来ない1時間あまりがたったであろうかまだ見えない。
ファーストクルーのパドルタイム30~45分の予定、スタートからややオーバーペースで来ているので若干ピッチが落ちてきたか先は長い無理に上げるなミネ!
っとそのとき波間に日の丸が!!そして爺さん鶴さんの姿が見える、声も聞こえてきた、よし居たぞ!!

早速爺さんから指示が飛ぶ、もちろんクルーの頭の中からはローテーション表などはぶっ飛んでしまっているし、この遅れを通常のローテーションに戻すために爺さんが調整するはずだ。
爺さんの声に集中だ、爺さん「チェンジ5分前1番2番5番チェンジ」ボートは大きくカヌーを追い越し先方でマッチャン・ふじお・玉がボートから飛び込みスタンバイする、最初のウォーターチェンジだ。何もかもが始めてのこの大会緊張の連続だった。
大が3人のラインに入り3人がカヌーの左側のラインに合わせ泳ぐ双方でラインを取るのだ。
しかし想像以上のうねりに3人か波間に隠れ目視できない、なかなかロックオンできないのだ。
カヌー側ではミネ・ヤス・一也がカバーのファスナーを明けパドルをホルダーにセット、左側から交代クルーの手がかかる瞬間を待つ、そして大が見事なコースで3人を拾い上げる、ファーストチャンジを見事成功させた。

やや落ちかけていたピッチをマッチャンがぐんぐん上げてゆく、フジオと玉もこの時を待ちわびたがごとくパンチの聞いたパドルを繰り出してくる、カヌーはよみがえるように加速し始めた。
大ナイスステアー!このウォーターチェンジの練習は茅ヶ崎のビーチを泳ぎながら6時間にも及んだことを思い出した。
そして30分後要約ローテーションへと入ってゆく。波、風は更に強くなり行く先にはまだ波しか見ることができない。
3番5番チェンジ!ヤスと一也がボートから飛び込む、ヤク戻ったらコースの確認頼む!ヤクはここまで90分漕ぎっぱなしだった。そうしてようやくローテーション2回目で俺も交代だ、俺はスタートから2時間始めての交代となる。ボートに上がり水分を補給しながらここまで俺自身かなりオーバーペースであったことに直ぐ気づいたペットボトルのキャップが開けられないのだ、しまったまだレースは
始まったばかりなのに又やってしまった俺はどのレースも始まると飛ばさずには居られないのだ。
そしてもう一つ異変に気づいた鶴さんがひどい船酔いでぶっ倒れている、無理もないそのとき海上は風速20m、波の高さは6m日本では強風波浪注意報台風接近中というコンディションの中ローテーション表とにらめっこなのだから。
しかし鶴さんはゲロまみれで起き上がり俺にドリンクなどを用意してくれている俺は友情を感じた。そしてスプラッシュガードですれて真っ赤に血がにじんだ俺のわき腹を見て、自分の履いているカヌースパッツをその状況の中フルチンになり俺に貸してくれた、これには愛すら感じてしまった。
鶴サン有難う!
俺はそれ以降擦れを気にする事無くパドルに集中することが出来た。ひっくり返りそうなボートの中フルチンゲロまみれでスパッツを貸してくれる、これぞリアルモロカイだ!!

感動的な出来事が後押しをしてくれたのか俺はみるみる回復していった、ボートからカヌーをじっくり眺め一人一人のパドルをチェックるることができるほど冷静になれていた。しかし想像以上に波はでかい予報どおり厳しいレースとなるはずだ、うねりの頂点ははるかに俺たちを乗り越えていた、真っ青な壁が盛り上がりは倒れ掛かるその間を縫うようにカヌーを滑らせた。
レースは中盤に差し掛かる、ココヘッドが見えてきた。
距離はまだつかめないがはるか向こうに陸が見える、先住民が大陸を発見したときとは言わないがそれに近いぐらい俺は嬉しかった、コースも悪くないようだ。
しかし風とうねり更に強くなり雲も厚くなってきた、行く手を阻むかのようにウネリと風は俺たちの右側から容赦なく吹き付ける。それでも大がウネリの間を縫いチャンスを見てはカヌーを波に滑らせて行く、早くウネリに合わせカヌーの方向を変えたいところだがまだ早い、ここでウネリに乗っていってしまったら大きく南にオアフを外してしまうからだ暫く我慢のライドが続いた。
すると爺さんからトップとの差は3マイル、コースも良いぞ!まじかよ!!これは気が遠くなりかけていたクルーも奮い立つ最高の知らせだった、皆一気に奮起する。
この時点までは目標の5時間45分を上回るペースで来ているのだ、レース中盤果然元気をとりも出した俺達だった。
そして我慢のモロカイ海峡を渡りきりダイヤモンドヘッドが見えてきたここからはハワイカイを経て一気にダウンウィンドウでワイキキまで約20kmを滑りきる予定だ。

ステアは大から俺に交代となる、そう俺はこのハワイカイランを負かされたのだ。大ご苦労、大はスタートから5時間あまり一回もフリする事無くここまでクルー達を導いてきた、いま振り返ると大だからこそ出来た偉業であった。
そして何艇抜いたで有ろうか順位も気になり始めたが・・・・
それもつかの間このあと俺はダイヤモンドヘッドを目の前にその大自然の力に落胆することとなる、そしてこのレースが世界で最も過酷なレースとしても有名であることを、クルー全員が味わさせられることとなるのだ。

ハワイにもかかわらず霙が吹きつけ風、波、ウネリは更にスケールアップして襲い掛かってくる。コースと風向きは予定通り、大がせっかくここまで皆を導いてきたが肝心の俺がその波にカヌーを乗せることが出来ない。
容赦なく水はカヌーの中に浸水してくる。クルー1のパワーヒッター、一也もベイル(水のかきだし)で30分のうち10分程度しかパドルできない有様だ。右後方からのウネリが軽々とカヌーを波の頂点まで運び上げるステアは水面まで届かない、そしてそのウネリがカヌーを通り越すと引き波でカヌーのノーズは右に持ってゆかれる、そこに左からうねりが入る、アマが宙に浮く、ここでフリしたら最後二度とレースには復帰できない、いや無事に帰ることができないと確信した。
アマ、アマ!!
声がでかくなってしまう、焦っている証拠だ!とにかく落ち着付くように言い聞かせるがもう俺は左ポークからパドルを抜くことが出来なくなっていた。
俺たちを試すがごとくその波は次々と右後方から押し寄せ左へと抜けてゆく、それでもギリギリのラインで何度かテイクオフを試みるがウネリガでかいぶん引き波も強く5時間こいできたクルーにその波をつかむ力は残ってはいなかった。
俺もそのとき両手両足を攣っていた、これは現役時代を通じても初めてのことだった。
無念である、このときのためにこの波を乗るために皆で準備をしてきたはずだったがこの海はその上を行っていた様だ。しかしレースはまだ終わったわけではない、俺は乗ることをあきらめフリせずここをのりきる事に集中した。
ダイヤモンドヘットが近づいてはくるが状況は変わらない、先の方では浅瀬に乗り上げているカヌーやフリしてアマだけが浮かんでいるカヌーなどが確認できた。
ボートからアウトに出ろと指示が飛ぶ、オフィシャルの監視艇も各チームに注意を促している。
ダイアモンドヘッドは10fの波が立ちインサイドは危険極まりない状況というのだ。サーフィンをたしなんでいる俺には容易にそのブレイクが想像できた、食らったらひとたまりもないことを。
アウトにでながらもワイキキのビルが見えてくるどうしてもインサイドに入ってしまう。アウトだアウト!まさアウトにでろ!!
俺は更に南(アウト)に舵を切り最後の難所を乗り切った。

さぁラストだ13人全員の目にワイキキの町が映った、それはこの海峡を乗り切った者をねぎらうかのように優しく語り掛けて来るオアシスのようだった。
最後の難所で餌食になったぼろぼろのカヌーがスローモーションを見ているかのように俺の目の脇をゆっくりと通り過ぎてゆく。
全てがゆっくりと見えていた、疲れ切っていたのか。
あと2マイルでこのレースは終わる、俺たちのチャレンジが終わるのだ。もう順位などどうでも良かった、目標タイムは大幅にオーバーしていることも自分の疲れから想像できた、俺はこの海に参りましたそして有難うとつぶやいていた。
そのとき前方に一艇カヌーは見えた!
ここから残1マイル最後の魂の対決が始まったのだ。
まだ4艇身90mは先だが全員の目にそれははっきり映った、見てしまったい以上抜くしかないこれが茅ヶ崎魂だ。俺が言うまでもなくボートのメンバー全員からも抜くぞーと声がかかる!ウッドカヌーのハワイアンチームだがかなりばてているが様子だがそう簡単には譲らない、向こうもマジである、ここまで来て日本人に抜かれるわけには行かないのであろう。

マッチャン・フジオ・やす・ミネ・一也・俺の6人で最後まで行くぞチェンジなしだ、爺から指示が飛ぶ。
そうこれがこのチャレンジの最後を告げるクルーなのだ、13人の気持ちがカヌーに乗り移りハワイアンカヌーを抜き去った、しかし又喰らい付いてくる、双方限界まで出し切ったのであろうアマが相手チームのカヌーにノリ上げてしまった。
ゴール手前50メートル、このままでは最後にフリしてしまうステアを右にいれるしかないのだ、と同時に失速して抜かれることになる。
ゴールまであと30m俺は右にステアを入れた、ハワイアンチームに続き一秒差でゴールとなった。俺は全てを出し切った悔いはない皆も同じであろうヤスの目からは涙がにじんだ俺も泣いた、ハワイアンもしばらく動けないようだ、お互いをたたえあう勝負には負けたがここまで追い込んだことに敬意を表してくれている。

ビーチにはフィニッシュを見ようと大勢の人が集まっていた、見知らぬ日本人からも健闘をたたえられた、すると又ゆっくり景色が流れ始めた今朝モロカイ島を出のではなく1週間前に出たような気がした、あの海峡をこいできたのが信じられなかったのかもしれない、この感じは何なのであろうか、まゆみちゃんやフーさんも日本から駆けつけてくれた感激だった、もちろん達成感もある仲間もいる、そして涙が止まらない感動している、その気持ちはボートクルーと合流して爆発する、大粒の涙があふれた。
でも言葉にはならない、この味わったことのない空間は何なんだろう、生きている喜びなのであろうか・・・・
こうして5年越しの俺達のチャレンジは終わりと告げた。
後に俺はあのときの気持ちこそがここまで来れた全てのことに対する本当の感謝の気持ちであることに気づいた、海よ家族よ仲間よ有難う!!

 

 

 

 

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